Global Voicesの記事。
カミングアウトについてとても、グッとくる意見がたくさん散りばめられていました。
私がもっとも共感できたのはakaboshiさんのブログの引用部分
"・・・同性愛者が近親者にカミングアウトをためらう時って、「拒絶されて自分が傷つきたくない」のと同じくらい、「相手を傷つけたくない」という気持ちが働くのではないかと思う。同性しか好きになれないという自分の本性から、逃げ続けた思春期の経験がそうさせる。自分ですら大変だった思いを、なんで年老いた親に背負わせなければならないのか。そういう思いがあることは否定できない事実だ。”
”同性愛者に生まれついたということだけでも結構シンドイのに、なぜ「カミングアウト」という行為をせねばならないという重圧まで背負い込まされなければならないのかと、本音では思ったりすることもある。”
という部分。
自分の親が過剰なくらいに子どものことを大事に思っているからこそ、言えないことがある。
本当の事を知ってしまった後の両親の葛藤を考える。
毎晩毎晩ため息をつき、娘の孫の顔を見られないことに落胆する両親が、
きっと目の前にいる。そして彼らは、自分を責める。責めて責めて、責め立てる。
どうしてこんな風に育ててしまったのか、なぜウチの子だけこうなのか、と。
「言わないほうが良かった」
そう思って後悔する自分が、きっとそこにいる。
年老いた両親がそれに耐えることよりも、ワタシが我慢している方がきっと、
ずっとずっと、おだやかだと思う。
そんな風に考えてしまう。
そんな中、
『カミングアウト・レターズ』
という本が
去年の12月に発売されていたらしいです。
カミングアウトについて、当事者だけでなく、その家族や身近な人の心境についても
とりあげられているそうです。
そういえば昔見た
有名なレスピアン映画「月の瞳」の中で、ヒロイン・カミール(♀)の婚約者、
マーティン(♂)のこんなセリフがありました。
「言葉で語ることで許されたと感じるのは、利己的すぎる考え方だ」
なんだか、バッサリ!という感じでみもふたもナイですが、
彼にとっては、婚約者の口からそのような言葉は聞きたくない、受け入れたくない、
という気持ちで必死だったのでしょう。
何が何でも、聞きたくない事実がある、と。
カミングアウトについて、マイノリティ当事者の考え方はさまざま。
同じように、それを聞く側の考え方もさまざま、なんだと想像します。
私が家族に言える日は、来るかどうか正直分からない。
でもひとまず、
「健康でいてくれればいい」
昔、母さんがそう言ってくれた言葉を信じます。
下記、悠悠自的。さんのカミングアウトレターズの紹介文より
「母さんの顔を見たとたん、あんなにカミングアウトを願ってたのに、
後悔しそうになった。
母さん、動揺を隠そうとしたから、俺に見せまいとしたから、
よけい本当は怯えてるんやって分かってもうた。」(昌志 p.13)
「あの時はただ、『母さん、俺、人を殺してしまった』と言われたみたいに、
怖くて怖くて、ただ、あなたが壊れてしまわないように、
引き止めるために聞いていた。」(母 p.21)
プロフィール
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